高体連札幌地区予選が4日間の日程で行われた。春季記録会の行われた円山競技場ではなく、厚別陸上競技場が会場となっていた。中央区にある南が丘高校から厚別までは地下鉄とバスを乗り継いでいくことになる。はまなす国体のメイン会場として使われたこの競技場は、円山以上の収容人数を持ち、J1にまた昇格したコンサドーレ北海道のホームにもなっている。
円山と比べてゴムの走路はレンガ色が濃く、表面のゴムチップの数も安定していた。走路も固めなので記録が出やすいのだそうだ。ここにはサブトラックが隣接していて、各校のテントはサブトラックの周囲に張られていた。
上野先生のすすめで僕は混成競技に出場することなった。青嶺高校との合同練習からわずか4週間足らずだったが、八種目それぞれのやり方をいろんな人に教えてもらった。中でも一番教え方が高度で厳しい口調だったのは山野紗希だった。青嶺高校の練習にもその後2度参加させてもらい、なんとかそれぞれのルールややり方だけは覚えられたと思う。
「あとは、経験だ。まあ、失敗してきな!」
沼田先生らしい、なんとも気合の入らない激励の言葉で今日を迎えた。上野先生はズバリと物事を判断しポイントだけを話そうとし、沼田先生は何かはぐらかすような含みのある言葉で教えようとする。この2人の夫婦はこうやってうまくいっているのだろうか。
テニス部の武部は今日も円山で試合があり、今回は陸上部の中で一緒に行く人を探さなければならなかった。
「一緒に行こう」と声をかけてきたのは下宿先の丹野邸の近くに住んでいる中川健太郎だった。
「長いこと待ちかねた跡取り息子なんですえぇ……」
丹野の婆さんが長い話をしてくれた。優秀な姉3人になんでもみっちり仕込まれた末っ子の長男が健太郎なのだという。
「中学の時からお勉強のよくできる御曹司なんですよぉ。野田さんもああぃう人と付き合っておくといいですよ。せっかく南が丘のような学校に入ったのですからねぇ、つきあう仲間をしっかり選ぶことが大切ですよぉ」
丹野のばあさんは、なぜか武部を気に入っているようなのだが、武部に対するのとは全く別の褒め言葉とともに、いつものように朝早くから朝食を準備してくれた。
健太郎は当然、実家の病院を継がなくてはならないのだろう。南が丘高校には同じような境遇の生徒がたくさんいる。僕とはまた違った荷物を背負っている奴らもいるのだ。いや、僕の背負っているものなんか、特別珍しいものでもなんでもないごく普通のことなのかもしれない。健太郎が自分のことを話しているのを聞いたことがないのでそのあたりのことは全くわからない。でも、家庭環境は違っても、僕と同じように、自分だけの時間を生きたいと願うこともあるのだろう。彼の走っている姿が悲壮感や苦しみを感じさせないのも、自分の選んだ自分だけの時間を楽しんでいることの表れのような気がする。
路面電車でも地下鉄でも隣り合って座りながら、2人は一言も言葉を交わさずに競技場まで来ていた。自分以上に社交下手な健太郎にいらつきを覚えながら、自分も他の仲間からこうやって思われているのではないかと感じることになった。地下鉄はモーター駆動とゴムタイヤで滑るように静かに進んでいった。途中で、後ろの車両からジャージにウインドブレーカー姿の集団がやって来た。男ばかり20人以上もの彼らは大声で話しながら、一つ先の車両へと移っていった。健太郎はその中に知り合いがいたらしく、その集団を見た途端にスマホを出してゲームを始めた。1500mの走り方を聞きたかったが、まともな答えが返って来るとは思えなかった。
6月3日木曜日。午前9時に、僕は厚別競技場のスタートラインにいた。目指すゴール地点の向こうもスタンドで囲まれ、初夏の青空が楕円形に切り取られていた。柔らかな風が流れていた。濃い赤色のシャツを着たスターターが叫んだ。僕ンジ色のキャップには高体連のマークがあった。
「オン ユアー マークス!」
国際大会に合わせて、最近では高校総体の地方予選でも英語でコールすることになったのだそうだ。
両手を白線の内側においた。ゴムの手触りが円山とは違った。この時間ではまだ冷たさを感じる。肩を白線より前に出し両手に体重をかけた。風が額にやってきた。少し伸びた前髪に風が当たるのを感じた。
「セーット!」
少し長めに感じる声に続いて号砲が鳴った。
「バスッ!」
右足を近めに着地し、左、右、と足の親指が地面を捉えていく。4歩目、5歩目、視線は低く保ったままだ。スピードが上がってきた。スタートからピックアップ、中間走、うまく動けている。力みは、いらない。真っ直ぐにゴールに向けた顔に風がやって来る。肘を中心に腕は前後にリズミカルに振る。指先まで伸ばした手のひらが目の高さまで上がっていた。あと10m。白線を次々に通過した。腕を後ろにはね上げるように胸を突き出した。自分のレーンに沿ったまま第1コーナーを少し回って右側へと方向を変えた。ゴール左に置かれた速報掲示に11.48と表示された。
「おーっし!」
思わず声が出た。スタンド下の通路を通ってサブグラウンドへ行こうとすると後ろから声がかかった。
「速いねえ!」
振り返ると、「恵庭体育」のネームに緑の2本線をあしらったユニフォームが目に入った。胸の厚みが圧倒的だ。
「1年生だよね!」
日に焼けた顔、短く刈りあげた髪の毛、長さを揃えた眉毛……、地下鉄の中で大声で話していたグループのうちの1人だった。
「そうだけど」
「すごいね!」
作り笑いをしたような顔が子供っぽく見えた。地下鉄の中では彼も「1年のくせに……」と言われていたはずだ。
「うん? なにが?」
「南が丘ってさ、勉強だけじゃなく、陸上も強いからさ。」
敵となる相手を無理して褒めるのは、野球をやっていた頃に随分と経験した。ヒットで出塁した時に1塁手や2塁手が話しかけてくることがある。たいていの場合はおだてておいて油断させ、ピックオフプレーを仕掛けてきたり、ピッチャーやセカンドに牽制のサインを送ったりしている。強いチームの「うまい野球」をする選手がほとんどだった。こいつも似たような表情をして話していた。
相手のペースに乗らず、自分の集中を保つためには、適当に話を合わせておくだけにすることだ。早々にジャージをはおり、2種目目の走り幅跳びに向かった。正面スタンド前の幅跳び用のピットは観客の視線の1番近くにある。平日に陸上の試合を見に来る観客などほとんどなく、まばらに見えるのは高校の関係者と選手の家族だけのようだった。短距離用とは踵の形や靴底の厚さが違うらしい走り幅跳び用のスパイクに履き替え、助走練習を1本だけ跳んで足合わせをした。幅跳びの練習はほとんどしてこなかった。
「幅跳びはそれなりに。ファールしないこと」
沼田先生の言葉通り、ファールせずに記録を残しておけば、次の種目にまた挑戦できる。他校の選手たちはメジャーで助走距離を測ったり、途中に足合わせのマークを置いたり、本格的な準備をしていた。彼らはきっと中学の頃から陸上に関わっていた選手なのだろう。中学校では四種競技という混成種目があり、走り幅跳びもその中に含まれている。僕は彼らのやり方をじっくり見て、勉強することにする。今の僕には準備の仕方もわからない。試合自体が貴重な実践練習だった。体を冷やさないようにジャージのズボンを履き、他の選手の練習を眺めていると、5m台後半から6mちょっとくらいの記録が多いようだ。踏切前の動作が上手い選手を見分けたかった。
1本目は踏切を合わせることだけを意識して慎重に跳んだ。助走のスピードはそれなりに上がっていたが、ファールにならないことを第一に考えていたためか、踏切版に少しだけつま先が乗り、「低空飛行」のまま着地するような跳躍になってしまった。ピット横に設置してある計測版を見ると、6mを超えていることがわかった。
「6メートル15」
年配の計測員が叫んだ。肩の力が抜けたような気がした。初めて走り幅跳びの公式記録を手に入れたことになる。沼田先生は大迫さんよりもいくかもしれない、と言っていたのだが、大迫さんがどのくらいの記録を持っているのかは聞いたことがないままだった。彼の出場する走り幅跳びはあすの午後から行われる。
喜多満男がスタートをきった。通路で話しかけてきた恵庭の選手だ。彼の100メートルは12秒02という記録だった。中川健太郎と同じぐらいの長身だが、肩幅が広く、胸の厚みは中川健太郎の倍もありそうだ。大きなストライドでスピードを増し、高く踏み切った。空中で足を2回こいで右足から着地した。砂が前方に飛び散り、後を追いかけるように着地後の彼も手の反動を使って前に跳んだ。踏切前の動作を見ても、練習を重ねたことを感じさせる跳び方だった。「6メート、ゼロ、ハチ」と年配の計測員が慎重に数字を読んだ。喜多満男は脚に付いた砂を両手ではたき落としながら顔をしかめた。1回目の跳躍では6m35の記録を出した札幌第四高校の選手がトップだった。
「ダイヨンの混成は強いよ。伝統だから」
喜多満男は自分の学校を自慢するかのように、札幌第四高校のことを語っている。人のことはどうでもよかった。僕は自分のことに集中する。
2回目は助走距離を長く取りスピードを上げてみた。記録が残っているのでファールは怖くない。助走後半にスピードが上がってきた。まだ、踏切前三歩のリズム感がつかめないまま高く跳びだしたせいか、着地動作が上手くいかない。空中で身体をいっぱいに反らせた反動を使って両足を前に投げ出す。早すぎた。砂に届く前に膝を畳んでしまい、しゃがんだ姿勢で砂場に落ちた。不格好だった。へたくそだった。それでも1回目より距離は伸び「6メートル35!」という声が聞こえた。
「おおっ!」「へえっ!」と、選手たちの声が小さく聞こえてきた。「意外なやつが結構な記録を出した」そんな意味の声に聞こえた。喜多満男が奥歯をかみしめたような表情を見せた。
「野田!……野田!」
と呼ぶ太い声の主は沼田先生だった。やり投げの役員で移動する途中に今の跳躍を見ていたらしい。
「パスしろ!パス!もういい!」
胸の前で両手をクロスさせている。
「いいか、混成競技はきついぞ。八種目全部に全力なんか出してたらつぶれる。どの種目でどれだけ力を抜けるかが大事なんだ。」
それが昨日の練習でのただ1つのアドバイスだった。技術的なことを教えもしないで混成競技に出そうとしているのに、力を抜くことだけ教えるなんて変だろうと僕は思っていた。
「全くやったこともない競技をするんだから、どこかで休まないと、いくらお前がタフでもやっぱりつぶれるだろう。」
「練習のつもりでって、言ってたじゃないですか。やったことないからこそできる限り経験してきますよ!」
「幅跳び、砲丸投げ、やり投げ、高跳びはできる限り試技回数を減らせ。できる時はパスしろ。いいか、1回目を大事にしろ!ファールをするな!」
今の跳躍の力みすぎをちゃんと見ていたようだ。
「いや、いいとこなんですから。ちょっと分かりそうなんです。あと1本行きます」
言葉は届かないようなので、大きく首を振って両手で頭の上に円を作った。
「せっかく記録伸びてきたのに、ここで止められねえだろ。着地の仕方は跳ばなきゃわからんでしょ」
3回目。さっきは走路に置かれたメジャーで33.5mのところからスタートして詰まり気味だったので、30㎝伸ばして33.8mからのスタートにした。1歩目からしっかりと地面を蹴って……、膝を高く上げて……、スピードを上げて……、踏切前の動きを意識して……、小さく速い動作で跳びだした。右膝から下を振り出すようにして大きく体をそらし、その反動で両足を前に出し着地の姿勢を取った。
体よりかなり前方に両足が着地し、後ろの手を前に振り膝を曲げて前方に持っていこうとした。……が、その前に潰れてしまった。膝が曲がった時に尻餅を付いたように腰が砂に埋まってしまったのだ。そのまま横向きに転げて砂場から立ち上がったが、記録となる踏切からの最短地点には左手の跡がはっきり残り、そのすぐ前には大きな凹みがついていた。ケツのあとだ。しっかり座り込んでしまった。
「5メートル78」と計測員が叫び、記録員が復唱して書き写した。立ち上がって砂を払っていると
「惜しい、惜しい! 80くらい、いってるぞ!」
さっきの計測員が笑っていった。
「はい、下手くそで……」
実際うまくいかないものだ。喜多満男たちは練習量が多いのだろう。今のと同じ状態からしっかり立ち上がっていたはずだ。
「惜しかったねー」
すれ違いざまにそう言った喜多満男の顔には、ホッとした表情が浮かんでいた。幅跳びの踏切動作と着地姿勢は練習課題として残ったが、結構面白い競技だということがわかった。ただ跳ぶだけなのではない。ポイントはいくつもあった。
「どんなスポーツもおんなじ。その競技に独特の動きがあるの。野球だと牽制球に対して飛び込むようにして手から1塁に戻ったりするでしょ。1番効率的で素早い動きになるからああやって動く。ほかのスポーツにはない動きだよね。同じように陸上でもそれぞれの種目に独特のポイントになる動きがあるんだよ。それも、やっぱりその種目に特化した必要な動きなんだね。だからそういう動き方を何度も練習しているのが陸上なんだと思っていい。その種目の特性をつかむこと。それを見つければいいんじゃない。」
合同練習で上野先生が言っていたことを思い出した。沼田先生はこういう具体的なことを言うことはないのだろうか。
三種目目の砲丸投げが14時30分から始まる。幅跳びが終了したのが12時30分なので、ゆっくりと昼食をとることができた。2時間おきに組まれた四種目はたいしてきつくはなかった。まだ、100m1本と幅跳び3本しかやっていない。言われていたような体力の問題は全くたいしたことはない。サブトラックのテントに戻ると1500m予選を終えたばかりの中川健太郎がいた。スポーツドリンクを飲みながらジャージを着ているところだった。
「速いね、お前」と小さな声で言った。彼から声をかけてくることは珍しかった。
「お前はどうだった?」という質問にはちょうどテントに戻ってきた山口さんが答えた。
「2位通過だけど4分11秒。スタートからずーっとイーブンペースで走りきった」
「いい記録なんですか」
僕には記録のイメージがない。自分も明日八種競技の最後に1500m走ることになるのだが、どのくらいの記録が速いのか遅いのか、まるでわかっていない。
「8組2着プラス2で18人残って決勝に行くんだけどね、健太郎の記録は6番目くらいだと思う」
山口さんは、どんなに当たり前で知らなければならないはずのことでも、こうやって丁寧に教えてくれる。坪内航平先輩あたりだと「ばーか、何にも知らねえんだなお前。鈍いんじゃねえの!」で終わってしまう。
「へー、決勝いつ?」
「4時半」
ジャージを羽織った中川健太郎はこちらを見ずに言った。
「僕の400がそのあとだ。すぐ近くで見れるな」
山口さんから視線を移すと、彼はバックから取り出したプログラムを開いて顔を上げた
「喜多満男。いたろ、同じ組に、八種の……」
「ああ、恵庭体育の? 知ってるの?」
「僕、あいつ、嫌い」
ETが日本語を覚えたらきっとこういう言葉になるだろう。中川内科胃腸科医院は、こんなET語を発する後継でいいんだろうか。
「なんで?」
聞くまでもなく、中川健太郎と喜多満男ではうまくいくはずがない。
「騙される」としか彼は言わなかった。
山口さんはもう次の競技のタイム取りに行ってしまった。それ以上話そうとせずに中川健太郎は「クールダウンしてくる」といってサブトラックに向かっていった。テントの中は僕1人になり、またひとりで弁当タイムだ。
丹野の婆さんはどんな時でも手を抜かずに弁当を作ってくれる。ほぼ毎週のように試合や練習があるのに、朝食の時までには必ず弁当ができあがっている。焼き魚と出汁巻き卵が必ず入った弁当は、そのまま花見にさえ持っていけそうな内容だ。スポーツの大会に持ってくる弁当としてはどうなのかはわからないが、上品な弁当を毎回作ってくれていることだけは間違いない。こんなふうに弁当を作ってくれる下宿は他になく、祖父が見つけてくれたこの下宿は、いや、丹野さんは僕には恵まれすぎた下宿なのかもしれない。多分京都風であろう薄味にも慣れてきた。かといって、試合の結果などは全く聞くつもりはなく、汚れたユニフォームの洗濯だって一度も苦情を聞くことはなかった。今は苫小牧に住んでいるというアイスホッケー選手だった息子さんが高校生だった頃を思い出しているのかもしれない。
サブトラックに出てみると砲丸のサークルで青嶺高校の高松菜々子さんが砲丸を持たずに投げの構えをチェックしていた。もうすぐ決勝が始まる時間だ。午前中の予選では1投目で通過したが、集中できない部分があるのだという。予選記録は8mに設定されている。高松さんは10m67の投擲で全体1位通過しているはずだ。女子砲丸投げの後が八種競技の砲丸の順になっているので、高松さんの投擲をじっくり見学できそうだ。
「そうだ、ちょっとお願い、もう少し下がって目印になってくれない。サークルの後ろの方、そう、もう少し後ろ」
「ここら辺ですか?」
「そう、そのへん。動かないでいて」
高松さんは投げの瞬間まで僕の方を向いたまま、グライドから突き出しまでの動きを何回か繰り返した。左肩と顔を最後までしっかりと残して突き出しの瞬間まで直線的に前に進んでいた。
「うん、よかった。いい感じ! なんかいい時に来てくれたね。うまく残せるようになった」
「顔残ってたし、開きがなくなりましたよ」
「わかるの?」
「野球と似てんですよ、投げの時の動きが」
「そう!おかげで今日は勝てる!」
「女子の次が、八種だから、見てますから。頑張ってください」
「勝てたらなんかおごってね!」
「はい、練習でお世話になりましたから、そのうち……」
「ウソウソ、そんなことしたら皆に八つ裂きにされちゃうよ!」
「はい?」
「ま、いいのいいの。しっかり応援してよ」
「分かりました。新記録出してください」
高松さんは12m56㎝を投げて優勝した。彼女の他に10m台を投げた人は1人しかいなかったのだからダントツの楽勝は分かっていたのに、最後の6投目までしっかり左肩を残し顔を残し、最後のスナップの瞬間まで集中力を切らすことはなかった。彼女の見ているものは他の人達とは違っていたのだ。
30度の角度に開いた計測エリアの外側に置かれた、傾斜のあるレールの上を砲丸が転がって戻ってきた。試合が始まった。試技順7番目に名前を呼ばれ、外側半分の位置に引かれた白線の後ろからゆっくりとサークルに入った。
自分の打順にあわせてベンチ裏で素振りをしたり、ネクストバッターズサークルに片膝着いて待っていた野球部時代を思い出した。サークルの1番後ろに右足のつま先をあわせ、右手の中指の付け根に砲丸の重心を乗せた。人差し指と中指の3本で支える。親指と小指は力を入れずに添えるだけにする。あごの下に構え、左腕を右膝にまで下ろして左足を後ろへ大きく踏み出した。右膝にためた力を1気に左に移しながら投げの構えをつくり、左腕を強く引きつけて右腕を前方高くに突きだした。
砲丸の重さを手のひらで受け止める前に小指側が先に前に出てしまったようで、中指に重心のあった鉄球は人差し指に滑り、スライダーを投げた時のような角度で手首が曲がってしまった。低い角度で放たれた鉄球は、力なくボスッと芝の上に落ちて少しだけ転がり、右側のファールラインに沿って止まった。力が砲丸に伝わりきらない投げになってしまった。
「9メートル、16センチ」と計測員がつまらなそうに声を上げ、女性の記録員が復唱した。スローカーブを待ちきれずにボールが来る前にバットを振ってしまった時のように、力を伝えきれなかった歯がゆさが残った。投げよう投げようという気持で体が突っ込んでしまったに違いない。
高松さんがサブトラックで僕を目印にしてチェックしていたことは、左肩を開かないことと顔を残すことだった。野球と同じだって自分で納得したことを思い出した。そして、さっきまでここで投げていた高松さんのイメージを追った。2投目はそれをやってみることにした。何か目印になるものを探した。見回すと最終コーナーの向こうに観客席の通路の切れ目が見えていた。コンクリートの上に鉄製の手すりが付いていてちょうど正面の位置で階段へと折れ曲がっている。少し遠いけれどもいいかもしれない。
「634番、野田君」
女性の記録員の声が僕を呼んだ。各校の顧問の先生たちは、それぞれ競技役員も兼ねていた。沼田先生はこれから始まるやり投げの判定員をすることになっている。きっとこの人もどこかの高校の先生なのだろう。
「はいっ!」
「おしっ!」
野球部式に今までの誰よりも大きな声で返事をすると、計測係をしているかなり年配の役員がそれに呼応して笑顔を作った。この人が高校の先生でないだろうことは想像できた。年を取りすぎている。きっと、若い頃には自分も選手としてならした方達なのだろう。自分の若い頃の記憶や楽しみを僕たち高校生の競技する姿と重ねているのかもしれない。同じような年配の審判員の方がそれぞれの競技に必ずいた。
右足のつま先をサークルの1番後ろの位置に合わせて、真っ直ぐに立った。頭上に挙げた右手には6㎏の砲丸がおさまっている。肘を真っ直ぐにして支えてやると、ほとんど重さは感じなくなった。そのまま、正面の手すりと階段の付け根を見つめた。移動していく選手が視界に入ることもあるがそんなことは気にならない。
1点だけに意識を集中させ、右手をあごの下に構え、左足を後ろに大きく上げた。右足1本でバランスを取り、左足の膝を曲げ前方に小さく丸まってしまうように右膝を深く折った。少し腰を後方に移動させ、わざとバランスを崩し、後ろに倒れてしまう寸前に左足をすばやくステップした。曲げたままの右足の角度をそのまま維持し、左足は身体の真後ろより少しだけ左に着地させる。投げの形ができた。ここから一気に体重移動をして右腕を突き出す。その間もずっとポールの付け根から目を離さない。左腕も後ろに残しておいた。右膝にたまった力を1気に解放し、左足にしっかりと重心を移す。左肘から肩を大きく回して、右腕の砲丸を目の高さまで引き上げて手首のスナップをきかせながら放りだした。左右の脚を入れ替え、右足でサークルの足止めを内側から蹴った。右腕のフォロースルーがきれいに決まった。センターからのバックホームがワンバウンドでキャッチャーまで届いたイメージだった。
1投目よりかなり高いところを6㎏の鉄球は飛行し、「バフッ!」という音とともに芝生の中にめり込んだ、と思う間もなく跳ね上がり、わずかだけ転がった。
「ジュウイチ メートル ジュウハチ!」
おじいちゃん計測員がうれしそうに叫んだ。
「11メートル18センチ」
机に向かって座った女性の先生が復唱して記録した。周りの選手達から小さな声が上がった。ここまでで3番目あたりの記録だった。
高松さんの投げが頭の中にしっかりイメージされたまま始まったおかげで、11mを超える記録を出すことができた。八種競技参加者全体の中で11mを超えたのは僕を入れて3人だけで、札幌第四の3年生が11m25㎝、中川健太郎に嫌われている喜多満男が11m80㎝を投げた。喜多満男は、3投の間に頻繁に話しかけてきた。自分の得意種目である砲丸でプレッシャーをかけておきたかったのだろう。あの厚い胸板は本物だったようだ。そして健太郎が嫌っているわけも理解できた。
芝生に横になって全員が終わるのを待った。曇りがちだった空が今は快晴になりつつある。スタンドで楕円形に切り取られた空を見ていると、いろんな音が聞こえてきた。
スパイクが踏み切り板をたたく音。舞い上がる砂が見えてくるような着地の音。測係が記録を読み上げる声。ピストルの号砲。観客席のざわめきと声援。そして走者の呼吸……。いろいろな種目がこの楕円形のあちこちで同時に進行している競技場にも、なにかに向かって集積していく音の流れがあった。盛り上がりも静寂も、トラックを蹴るスパイクの音も、喘ぎ声やため息さえもが生き物のように近づいて来ては……遠ざかっていく。
たった1つの白球に、全員の目が1斉に注がれる野球場とは違った楽しさや、美しさや、何かに左右されたような空気の流れ、いや、選手たちの気持ち……、なのか。ここ厚別競技場の中には、いろいろな生命感やエネルギーが満ち溢れていた。これが陸上競技の「面白さ」なのかもしれない。野田賢治は初めてそんな風に思いながらも、これからこなさなければならない種目について考え始めた。
シャサシャサ、とウインドブレーカーのこすれる音をさせて、寝転んだ僕を真上からのぞき込んだのは、悔しさを隠しきれない言い方をする喜多満男だった。
「すげえな、余裕あるべや!」
「いや、君より体力ないから。」
「山西哲也って、同じ中学だろ?」
「あー、一緒なのか! 恵庭で!」
「野球、なんでやめたの? 北海とか北照とか駒苫とか、誘われたんだって?」
こういう時にあんまりしゃべりたくない話題を持ってきたこいつのねらいはよく分かる。が、昔からこういう奴らの扱いには慣れていた。大人も子どもも、こういう時の言葉の裏になにが隠されているのかは見えるような気がする。
「陸上やりたかったから!」
長い話は必要なかった。お前だってやりたいからやってるんだろう。これ以外に夢中になれるものないからやってるんだろう。いいじゃないかそれで、僕とお前はおんなじさ、自分のために走ればいいじゃんか。跳べばいいじゃんか。人のことなんか気にするなよ。自分のために時間は使うもんだろう。お前に勝とうなんて思ってないから心配すんなよ。何か言いたげな喜多満男だったが、言葉を奪われたように僕の顔を見ているだけだった。
低い木に囲まれたサブトラックには、熱心にアップする選手たちの真剣な顔があった。フィールドの中でもトラック上でも、みなそれぞれの方法で試合が始まる時間に合わせて調整している。
健太郎がいた。トラックの1番外側をゆっくりとジョギングしている。細く長い脚の左右の踵が柔らかく地面を捉えている。着地した足の上には常に真上に腰がやって来る。スピードが上がってもそれは変わらない。小さくたたまれた両手の肘も脇から離れることなく低い位置で振れている。視線がしっかりと前に固定され、頭の高さは変わらずに流れるように前に進んでいく。長身で手足の長い中川健太郎が上下動の少ない走りでトラックを周っていると、ほかの選手とは別次元の存在に見えてくる。速そうだとか強そうだとか、その能力じゃなく、なんだか哲学的な存在に感じられてしまうのだ。それはどんな言葉で説明しても説明しきれないような、彼の生き方そのものが走っているような、そんなふうに感じられてしまう。
小さな乾電池1本で動くモーターを動力としているかのように、小さな腰からぶら下がった真っ直ぐな脚が、なんの未練もブレもなく、自分の正面に対してしっかりと踏み出していく。両方の足のつま先がどんなときでも正確に真っ直ぐに着地するのだ。走り去っていく後ろ姿の肩幅の狭さが印象的だ。
決勝のスタート後も中川健太郎の走りは変わらない。1周を66秒きっかりでラップを刻んでいる。先頭が飛び出そうが、後ろに付かれようが全くそんなことは彼には関わりのないことで、自分の決めたタイムで走る。2周目も66秒きっかりで回ってきた。スタートから飛び出した選手も今は1団となっている。3周目、かなり集団がバラケて大きな塊だったものが縦長の列になった。
先頭集団は6人ほどの塊で位置取りを争っている。ラスト1周の鐘が鳴っても動きはなかった。第2コーナーを回って中川健太郎はやはり66秒きっかりで400mのラップを刻み1200mを通過した。バックストレートの直線になったとき先頭集団のうちの2人がスパートした。2メートル、4メートル、差が開いていく。それでも中川健太郎は変わらない。疲れている様子もフォームが変わったふうもない。第3コーナーのカーブに差し掛かり先頭との差は10mほどか、ここから行かなければ追いつけない。ここにきても、彼の走りはサブトラックをジョギングしていた時と変わらない。前も後ろも誰がどこを走っているのかも関係ないというように、なんとも力感のない柔らかで軽い走りなのだ。ここから1気に力を爆発させて前の走者を追いかければまだいける。
けれども、健太郎は行かない。変わらぬペースでコーナーを回っている。最後の力を振り絞って力感たっぷりに何人かが抜いて行っても、やはり同じペースでゴールまでやってきた。6着に入ったので全道大会への出場権は得たけれども、勝とうという気持ちは全く感じられなかった。
ゴールしたあともそのままのフォームでゆっくりと動きを止めた。下を向くことも膝に手を当てて顔を歪めることもなかった。右手にはめた時計の数字を見ている。
400mを66秒で正確に走り通した。800mを2分12秒、1200mで3分18秒、残りの300mを47秒5で走った。4分5秒5。100mをちょうど16秒5で走ったことになる。山口さんがラップを記録していた。
「中川くんはこういうレースをする人なんだからいいんじゃない」
「負けてもいいってことですか?」
「そういうことじゃなく走ってるんだと思う。つぎはきっと65秒で走ろうとするんじゃないかな」
「でも、レースってのは、競争するっていうことでしょう」
「そうね。中川健太郎は、レースをしていなかったってことでしょうね」
「大会に出場してるのに? 決勝ですよ?」
「中川くんのことは中川くんが決める」
そう言う山口さんの表情はなんだか嬉しそうにさえ見える。もうそれ以上話す時間はなかった。八種競技の400mの時間だった。
先週から今週のはじめにかけて、インターバルトレーニングとバウンディングという練習を繰り返してきた。きつい練習だった。
「まだ眠っている筋肉と神経に喝を入れて目覚めさせてやれ!」
そういう沼田先生の檄で、短い時間ながらも強い強度の負荷を与える練習だった。
「これで400mも大丈夫だぞ!」
沼田先生の言葉は相変わらず抽象的で、僕には何がどういうふうに良いのかわからないままだったが、専門の先生が言うんだから、とにかく大丈夫なのだろう。
2レーンからのスタートは有利だと思った。階段式スタートの400mでは他の選手の走りを見ながら調整できる利点がある。前半に抑えておいて最後に一気に抜き去る計画も立てやすい。観客として見ている方は最終コーナーを回るまで勝負がわからないので楽しめるだろう。でも、これは400mの勝負ではなく八種類あるうちの1つの種目。勝ち負けじゃなくタイムが問題なのだ。この競技の勝負は得点なのだ。今日はもう出場種目はない。全力で行こうと考えた。
スタブロに足を置いて顔を上げると、ほとんどの選手を見渡せる。4レーンには北翔高校の3年生佐々木宏大がいる。札幌第四の選手は6レーン。喜多満男が7レーンだ。
「負けたくない。」
号砲が鳴って、低くスタートを切った。7レーンが飛び出した。
「よし! 行くぞ!」
肩の力を抜いて肘から大きく腕を振った。腿を高く上げ、足首のスナップを効かせるように軽く地面を蹴って進んだ。バックストレッチの直線は追い風のようだ、体が軽い。200mを過ぎ第3コーナーのカーブに差し掛かる。アウトレーン側の選手が何人か前を走っていても慌てない。呼吸は辛くない。肩も楽なままだ。
「こっからだ!」
4レーンの佐々木宏太が強かった。4コーナーを回ってからギアを入れ替えたように加速していく。喜多満男は限界を迎えていた。体が揺れ始めている。直線になってラストの100m。喜多満男の足が止まった。6レーンの選手が前にいる。追いつきたい。力いっぱい腕を振ったが、足が前に出ていかない。4レーンの佐々木宏太は先に行ってしまった。自分の呼吸の音が荒く聞こえている。風が向かっていた。状態が揺れる。残り10mの白線が見え、佐々木宏太に追いつけないままゴールラインを越えた。
「走りきれた!」
力が一気に抜け、呼吸の苦しさが増した。フィールドに倒れこんで膝を曲げたまま、脚の筋肉がつったのと同じような「ケツワレ」の苦しさが収まるのを待った。若草色のまだ短い芝生がほっぺたをひんやりといたわってくれた。初夏の匂いがした。
佐々木宏太の53秒51と札幌第四の54秒55に次いで、55秒03のゴールだった。喜多満男は55秒83と後半失速したが最後まで粘ってみせた。
得点が何点なのかは分からないが、やっぱり負けるのは悔しい。同じ学年の喜多満男と張り合っているわけじゃないが、負けたくはなかった。最後は自分の力以上に気持ちが先に行ってしまう。それが普通のことじゃないのか。力んでしまうとスピードが落ちると練習では何度も言われていても、自分の前を走っているやつには追いつきたい。抜いてしまいたい。そういうのが競争なんじゃないのか。中川健太郎はそんなことは考えていなかったというのだろうか。前を走るやつに対して何も感じないというのだろうか。
山口美優さんの計算が間違うことはない。1日目を終えて僕の合計は2568点でなんとトップの記録となった。2位の佐々木宏太に10点以上の差をつけ、喜多満男とはさらに10点の差がある。
「野田くんすごい。このペースでいったら5000点超えだって。5000点超えたら大会記録だよ!すごい点数!」
川相智子が自分のことのように目を輝かせた。女子走り高跳びで川相智子は1m48㎝で6位に入った。優勝を決めた山野紗希はリレーの練習でサブトラックにいた。彼女は1m57㎝を跳んだ。
「いや、まだ半分しか終わってないから。ハードルも高跳びも初めてだし、やり投げなんて練習でも1度も投げたことないんだ。どうなるかわかんないよ」
山口さんの作ってくれたスポーツドリンクに口をつけると、喜多満男の鋭い眼が思い出された。
「明日は負けねえぞ! 覚えてろ!」
芝生にしゃがみこんだ時の、無言の横顔が悔しさを発散させていた。
「おい、明日も頑張ろうぜ!」
芝生に転がっている僕に手を差し出したのは佐々木宏太だった。まだ走れそうな余裕があった。
「あ、はい」
立ち上がった僕はまだ「ケツワレ」の苦しさから解放されていなかった。混成をやるにはこれくらいのスタミナがなけりゃいけないんだと強く思った。喜多満男はその様子を見ながら奥歯をかみしめていた。
中川健太郎はこんなことは考えないのだろうか。
「絶対に負けねえぞ!」
言葉には出さなくとも、喜多満男のむき出しの感情が、僕が今まで生活してきた周りには満ち溢れていた。
「明日も頑張ろうぜ」
と相手に手を差し出す佐々木宏太のような「強い者の」余裕の行動も何度も経験してきた。勝負、レース、ゲームとどんな呼び方にしたって、スポーツは相手との勝ち負けを決めることが大きな目的だったり、努力の目標となっていたのではないのか。
陸上だって、たとえ自己記録を高めていくことが最大の目標であっても、そこに至るにはやはり、相手との勝負が有り、勝つことで前に進んでいく。負けは負けで次の勝負への蓄積となり意欲の源ともなる。勝つことも負けることも、順位さえも気になりはしないという中川健太郎の無表情さには、人として何かが足りないような違和感を覚えるだけじゃなく、いくぶん怒りさえ感じてしまう。